大分県宇佐市とのオンライン交流会 Usa City Online Exchange Program
大分県の宇佐市教育委員会様とは2016年より宇佐市青少年ハワイ海外研修をハワイ教育局と共にお手伝いしています。
ダニエル・K・イノウエ国際空港到着時より、観光、3日間の現地中学校訪問、ホームステイ、日本文化センター訪問、日系人からの学ぶ平和学習、
真珠湾訪問、戦艦ミズーリ号キャンプ、アラモアナビーチパーク遊泳などを通訳兼コーディネーとさせていただき、毎日生徒等の顔が逞しくなっていく様子を引率の先生方と一緒に体験させてもらっています。
2019年にはハワイの中学生も宇佐市を訪れ、交流を深めました。
一緒に宇佐市の歴史に触れ、神が集まる八幡総本宮宇佐神宮にて奉拝し、農園ホームステイにて日本のおじちゃん、おばちゃんと食卓を囲み、
ハワイの中学生も活き活きと日本での時間を過ごしました。
ハワイの先生方は「We met real Japan in Japan! 」と東京や大阪では体験できない日本の原風景の中で学ぶハワイの日焼けした生徒たちを見守っていました。
残念ながら新型コロナ感染症の影響により2020年と2021年のハワイ海外研修は中止となりましたが、
2021年はオンラインを活用して現地校との交流・平和学習そして観光を楽しんでもらいました。
私自身も数度、宇佐市にお邪魔しました。
初めて見る掩体壕(軍用機の格納庫)は戦史そのものでした。
昭和14(1939)年10月1日、大分県宇佐市に攻撃機と艦上爆撃機の練習航空隊として宇佐海軍航空隊がつくられ、隊員たちは航空母艦での勤務に備え、宇佐で訓練を重ねました。
昭和16(1941)年12月8日(ハワイ時間12月7日)の真珠湾攻撃でフォード島に第一撃を放ったのは宇佐市航空基地で訓練をうけた隊員であったと伺っています。
戦況が悪化してくると、宇佐海軍航空隊は特別攻撃隊の基地となり、宇佐からは105機が特攻出撃し、そのうちの82機、154人が戦死されています。
昭和20年(1945)年8月15日に終戦を迎えると、約6,000名の隊員を抱えた宇佐海軍航空隊もその幕を閉じました。
宇佐市には「宇佐市平和ミュージーアム(仮称)が建設予定です。
ハワイにある真珠湾航空博物館とは姉妹博物館になる予定だとも聞いています。
ぜひまたハワイの生徒たちと伺いたいと思っています。
とても楽しみです。
真珠湾航空博物館は、真珠湾攻撃時に使用されていた格納庫(ハンガー)格納庫を改修して博物館として公開されています。
真珠湾攻撃の際の銃痕の跡も残されています。
大日本帝国海軍の零戦21型や、アメリカ海軍グラマンF4F-3ワイルドキャット、日本本土への初空襲を実行したドーリットル隊のB-25ミッチェルなど、
貴重な機体が展示してあり、ミッドウェイ海戦や、ニイハウ島の事件などを詳しく展示しています。
この宇佐市とハワイの生徒がこれからの新型コロナに負けず、お互いをしらずに戦ってしまった過去から学び、交流や言葉を重ねて、
*人はどこに住んでいても心や家族を持った人であること。
*英語はうまくなくてもコミュニケーションを図る意思があれば気持ちは通じる事。
*文化を知る事が相手を理解することにつながる事。
を知ってもらいたいなと願っています。
今回、オンライン修学旅行の企画・運営にあたりご尽力いただいた、宇佐市教育委員会教育長およびご担当者様、先生方、ハワイの現地校校長先生、担当の先生方、そして日系人と日系人部隊のお話をしてくださった講師の先生に深くお礼申し上げます。
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