Central Park セントラルパークは東京ドームの何個分?
セントラルパークを歩いてみました。
これが大都会の真ん中と思わせるほど豊かな緑の景色が目を休めてくれます。
公園の広さは341ヘクタール。南北4km 東西0.8km。東京ドーム68個分の広さです。
ニューヨーカーがジョギングしたり、野球をしたり、ピクニックをしたり、子供が走り回ったり、サッカーをしたり、自由な時を過ごしています。
セントラルパークの歴史を調べてみると、1811年(江戸時代;第11代徳川家斉)の時代にマンハッタン島開発計画が始まり、
1853年(江戸時代:第13代徳川家定・ペリー浦賀来航)にニューヨーク州議会により公園用地として指定されています。
正式に開園したのは1873年(明治6年:征韓論政変)でした。
日本は明治維新が終わり、国家としてはまだまだ未熟で、西郷隆盛をはじめとする参議の半数が辞職し軍人、官僚約600人が職を辞した年にあたります。
1776年に独立したアメリカはわずか100年足らずで、マンハッタン島の中心地にランドスケープ・アーキテクト(Landscape Architect 造景家)の意見を取り入れながら
市民のための広大な公園を作り上げました。
すごいなと思います。
日本では、1603年から1868年まで一つの家族(家系)が日本を統治していました。明治維新を経て、少しずつ国家として成長(成熟ではなく)はしていきますが、
外国を経験していない政治家や官僚と外国の文化や政治を目の当たりに見てきた政治家とは、大きな意見の隔たりがあったと言われています。
やはり外を見て、経験することは大事です。
高杉晋作は上海に行き、外国に強いたげられた中国の惨状をみて、奇兵隊を結成しました。
渋沢栄一は1867年(慶應3年)第2回パリ万博に参加したことが転機となり、財界を代表する財界の第一人者になりました。
津田梅子は1871年(明治4年)にわずか6歳で岩倉使節団の一員としてワシントンに行き勉学に努め、帰国後1900年(明治33年)に女子英学塾(後の津田塾大学)を設立します。
彼女は女性として「all round Women 」になることを次世代に教えています。
セントラルパークでたたずみながら、この国の、アメリカの強さ、大きさを改めて感じながら、
日本の生徒たちにも、日本という国のために、外国で学び、体験し、そして自信を持つ事の大切さを教えていきたいと、強く思ったセントラルパークの夕暮れでした。
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